
曹洞宗 栄春寺の住職様により、亡くなったペットの供養をしていただいております。
当社では亡くなられたかけがえのないペットのために、曹洞宗 栄春寺の住職様に手厚く供養していただいております。
曹洞宗 栄春寺では、こうしたペットを供養することが浸透してない頃から、ペットの命も人間と同じように尊いものであり、その死を慈しみ住職様がお経を報じられています。また、生前の感謝の意をこめ寺院内に慰霊碑を建立されています。
亡くなられたペットちゃんのご冥福を祈っております。
寺院での埋葬 | ¥10,000 |
寺院での永代供養(卒塔婆供用) | ¥30,000 |
ご住職のお言葉
青葉の上の一滴の露は、内も外も包み隠すことなく堂々とそのものの姿を現しています。今、私たちも、小さなこの一滴の露に学ばなければなりません。
今も庭に目をやると、緑は爽やかで、花は鮮やかです。しかし、忙しく殺伐とした毎日の中で、当たり前のことがありのままに目に入っているでしょうか。
ものごとに対して、素直に受け取ろうとしているでしょうか。忙しい中にも季節は移り行きます。そして足元の花も虫も、命の限り精一杯なのです。
時折、「一期一会」という言葉を聞きますが、一期とは人の一生のこと、一会とは一度きりという意味です。いかなるときも次の期会というものはないです。あっても、今とはまったく違うものになっているはずです。その時々が、「今生の別れ」、そう思うと人と接するときも、物に接するときも、もっと優しく、いたわりと思いやりを持てるはずです。これも「一滴の露」の教えなのです。
「明歴々、露堂々」―歴然として明らかに、堂々とさらけ出す。包み隠すことのない堂々とした姿、そんな姿で生きられれば、そして人々と接することができれば、豊かな心で日々が過ごせるのではないでしょうか。「忙」しいという字は、心が亡くなると書きます。どうかご参詣のほんの一時でも、心にゆとりのスペースを持っていただきたいものです。そして、四季を感じ、四季と遊び学ぶ心を育んでいただきたい、と願っています。
さあ、いつどんな時でも「露堂々」です。
合掌
栄春寺 住職 米澤 昭博
青葉の上の一滴の露は、内も外も包み隠すことなく堂々とそのものの姿を現しています。今、私たちも、小さなこの一滴の露に学ばなければなりません。
今も庭に目をやると、緑は爽やかで、花は鮮やかです。しかし、忙しく殺伐とした毎日の中で、当たり前のことがありのままに目に入っているでしょうか。
ものごとに対して、素直に受け取ろうとしているでしょうか。忙しい中にも季節は移り行きます。そして足元の花も虫も、命の限り精一杯なのです。
時折、「一期一会」という言葉を聞きますが、一期とは人の一生のこと、一会とは一度きりという意味です。いかなるときも次の期会というものはないです。あっても、今とはまったく違うものになっているはずです。その時々が、「今生の別れ」、そう思うと人と接するときも、物に接するときも、もっと優しく、いたわりと思いやりを持てるはずです。これも「一滴の露」の教えなのです。
「明歴々、露堂々」―歴然として明らかに、堂々とさらけ出す。包み隠すことのない堂々とした姿、そんな姿で生きられれば、そして人々と接することができれば、豊かな心で日々が過ごせるのではないでしょうか。「忙」しいという字は、心が亡くなると書きます。どうかご参詣のほんの一時でも、心にゆとりのスペースを持っていただきたいものです。そして、四季を感じ、四季と遊び学ぶ心を育んでいただきたい、と願っています。
さあ、いつどんな時でも「露堂々」です。
合掌
栄春寺 住職 米澤 昭博